備忘録。

とらびすじゃぱんのダンスエースとへいせいじゃんぷの絶対エース

好きな人がTravis Japanを辞めてからも自分がTravis Japanから離れられなかった人の独り言

 

 

 

どうも。皆さんお元気ですか。(松倉担になったからには1度はこの始まり方をしてみたかった。笑)

 

 

Travis Japan結成8周年おめでとう。もうそんなに経つんだね。早いなあ。

せっかくの機会だから(?)ずっと書きたい書きたいと思いながら先延ばしになってた、私なりの沼落ちブログを書いてみようと思います。私、沼落ちブログを読むのがすごく好きで見つけるたびに読んでるんですけど、好きになったときの経緯や感情を文章に残すって素敵だな、羨ましいなって思ったりしていて。正直、新鮮さはないけれど、私も、担降りしたわけだし書いてみよう!

 

……と思って書き始めたんだけど、書いていたら全然沼落ちブログではなくなった…(笑)せっかくならとことん書こうと思った結果、美勇人担だった私が、美勇人が事務所を辞めたあともなんでそのグループを応援し続けて、松倉担になったのかっていうお話です。私にとってすごく大切な時間だったから、どうしても記憶が薄れてしまってることが寂しくて文字にして残しておくことにしました。あくまでこれは私の個人的な気持ちだし、昔の話でマウントをとったり、というつもりも全くありません。ただの1人のおたくの思い出話です。

 

もしこんなブログを読んでくれる人がいたら、こんなおたくもいるんだな、くらいで軽く流してください。ちなみにのえまるに負けないレベルの長さです。ご注意を。

 

 

 

▪️2012年

1月頃、友達と少年倶楽部を見て誰の踊り方が好きか、となってダンスを見ているときに惹かれたのが美勇人だった。何の曲かは忘れたけど、本当に後ろの方にいて顔も見えなかったことは覚えてる。それでも一気に引き込まれた。

そして美勇人目当てで行った初めての現場が初年度のABC座。このときは完全に美勇人個人しか見てなかったけど、この舞台をきっかけに沼にハマっていって、JR.Aのことを知り、滝沢歌舞伎で初めてJR.Aの姿を見て、過去のプレゾンのDVDを買ってどんどん好きになっていった。

当時は山田担で、デビューして少しの間はJr.も見ていたりしたから知っていたけど、いつのまにか知らないJr.ばっかりだったからこの頃にまた勉強し始めた。このときに弟組や松松の存在も知った。2012年の松松は本当に天使だった……かわいいかわいい言ってたな……

 

そして今年の夏は絶対プレゾンで優馬とJR.Aの姿を見る…!そう決めていたときに届いたPLAYZONEの案内に書かれていたグループが"Travis Japan"だった。

 

 

 

 

………????………なに????

これがTravis Japanの第一印象(笑)

 

この頃友達がうみと朝日が好きでその周辺のJr.のことも知っていたし弟組のことも全員わかった。だけど、JR.Aを見ることを楽しみにしていたから、この頃は正直「なんで一緒?」「4人でJR.A、5人でTravis Japanでよくない?」って思ったりもした。ただ、Jr.のグループが変動的なことはわかってるし、5人加わったとはいえ4人が同じグループにいることは素直に嬉しかったし安心した。

こんな感じだったから、美勇人を好きになったらいつのまにかTravis Japanっていうグループに所属していたっていう感じ。そして、きっと今回のPLAYZONEだけだろう、そう思っていた。

実際、雑誌もTravis Japanとして載っているのは何故か弟組5人だけだったし、9人全員で載ったこともあったけど、弟組だけで載っていることの方が多かった。だからこそ余計に、ずっと続くわけではないだろう、と思っていた。

 

だけど、9月の舞台「少年たち」の出演者の中にTravis Japanの名前があった。ここで初めてPLAYZONE限定のグループじゃないんだ!?って驚いた記憶がある。ただ、9人グループのはずなのに結局出演したのは5人。A.B.C-ZのSUMMARYにも途中参加していたけど、全員が参加したのは最初の日だけ。冬には拡輝以外がジャニーズワールドに出演していたけど、グループとしての出番はもちろんなかった。

 

結局、私が1番好きなのは美勇人だし、美勇人が輝いている姿を見ることができるならそれでよかった。居場所が変わるたびにいろんな姿を見ることができるからむしろラッキーだな、くらいの感覚。

そう言いながらも、やっぱり同じグループになったからには知りたい、好きになりたい、という気持ちもあった。ずっと続くとは思っていなかったから依存はしないように、でもいつなくなるかわからないからこそ、今を大事にしよう、そう思いながら見ていた。

 

 

▪️2013年

春は見事に3箇所にわかれて活動して、Travis Japanが結成されて2回目の夏を迎えた。2010年から毎年名前が変わって、去年はメンバーも変わっている。美勇人は謎選抜メンバーと活動することが多くなっていた。だからこそ、今年はTravis Japanというグループはなくなるだろう、そう思っていた。

だけど変わらなかった。Travis Japanというグループが2年続いたということに逆に驚いた。だけど、宮近がいなかった。秋にあった舞台「ANOTHER」にも宮近はいなかった。「Travis Japan」という名前は残ったけど、この年、9人が揃うことはなかった気がする。1月放送の少年倶楽部と雑誌で少しあったかな、くらい。

 

バラバラではあったけど、それぞれの現場には行ったりしていたし、たまに出る雑誌を見たりしてTravis Japanを好きになっていった。美勇人が映っていない他のメンバーの写真を買ったりもしていたから普通に好きだったと思う。それでも、変わらずグループには拘らないようにしてたし、いつなくなってもいいような覚悟は常にしていた。

 

ちなみにこの頃、トラジャがバラバラだったからこそいろんな現場に行ったし、そんな中で松松を見ることもあった。昔のメモやツイートを見ると結構松松のことを書いてたから自分が思ってたより好きだったと思う。とにかく顔が可愛いし、腕がとれちゃうんじゃないかっていうくらいしゃかりきに楽しそうに踊っている姿が好きだったことは覚えている。だけどあくまで1番好きなのは美勇人で、トラジャの現場を最優先していたから一緒にいるときに見るくらい。そんな中で見るたびに癒されていた。本当に天使だったな…

 

 

▪️2014年

2014年は宮近と顕嵐がPrinceの3人と一緒にいることが多く、何故か美勇人も突然Sexy familyになっていた。改めて、Sexy Champってなんだったんだ…。このとき、優馬クリエに如恵留、しめ、宮近、うみ、閑也、朝日の6人がついていて、周りからの感想を聞いたりしてすごく羨ましかったことを覚えてる。もちろんセクセカも楽しかったんだけどね!やっぱりがっつり踊るところが好きだったから。羨ましいなんていえなかったけど、やっぱりどうしても羨ましいなっていう感情が出てきちゃって、少年倶楽部の愛までがナイフはしばらく見ないようにしていた。そう思うと、グループに拘らないとか言いながら、いつのまにか無意識にTravis Japanにいることを望んでいたのかなーって思う。

 

そして夏。今年のPLAYZONEはさすがにグループが変わるんじゃないか、と思っていたけどまた変わらなかった。3年間も変わらなかったという事実に、逆に驚いた。だけど、宮近が戻ってきたと思ったら今度は顕嵐がいない。やっぱり全員揃わない。

そんな中ではあったけど、初めてTravis Japanだけの出番があったことが本当に本当に嬉しかった。この夏はまあ、いろいろありましたけど、A・RA・SHIで美勇人の肩に手を回したのえるの姿を見て泣いたりしたな。ごめんねありがとうって。そんなところでもグループなんだなって実感したりしていた。

 

いつからか、Travis Japanと名前があっても、その度にファンは「誰がいる?」「何人Japan?」とまず疑問を持つようになっていた。グループ名が書かれていても、実際に見るまで誰がいるかわからないことが当たり前だった。この頃は本当に全員揃うことがなくて、いつも誰かいないことが普通。そんなグループだった。

そんな中でも兄組4人だけは必ずPLAYZONEで揃っていたことに安心していた。弟組担の人たちには申し訳ないけど。美勇人が別のくくりになったとしても、PLAYZONEのときだけは4人が並ぶ。そのことが本当に嬉しかった。この年に関しては、優馬の「High Five」のバックにも選ばれて、ミュージックステーションにも出演した。ずっと一緒にいる仲良しな友達じゃなくて、夢を目指す仲間という言葉があう4人。そんな4人のことがどんどん特別な存在になっていた。

この頃はグループ全体というより、兄組担は兄組、弟組担は弟組が特別という人が多かった気がする。私のイメージだけど。

 

そんな中で迎えた2014年12月のザ少年倶楽部優馬の「交差点」のバックにTravis Japanの9人がついた。最初に優馬と兄組、次に弟組、そこから美勇人のソロ、そして最後の大サビで約2年ぶりに9人が並んだ。曲中なのに、9人が揃う瞬間の大きな歓声がテレビ越しで聞こえるほどだった。あの演出は本当にずるい。何度見ても鳥肌が立つし、うまく言葉で表せないんだけど、なんだか胸がぎゅっとなって泣きそうになる。本当に大切な曲。正直それまで、「9人じゃなきゃ嫌だ」なんて思ったことはなかった。9人は難しくてもせめて兄組4人は一緒にいてほしい。それくらいだった。だけどこのときのダンスを見て、9人のパフォーマンスをもっと見たいと思っている自分がいた。

 

 

▪️2015年

1月の最後のPLAYZONE。結成されたときぶりに9人の名前が並んだ。結局、顕嵐は怪我で出演はできなかったけど、ちゃんと9人でTravis Japanだった。

だけど、これで本当にTravis Japanはバラバラになる。そう思った。Travis Japanの原点でもあるPLAYZONEが終わってしまう。普段からバラバラな活動が多い中、宮近か顕嵐がいなかったとはいえ、ここだけはほとんどのメンバーが揃った。そんな大切な場所がなくなる。

 

寂しさはあったけど、何度も言っているようにずっと覚悟はしていた。結成したときにきっと1年で終わるだろう、PLAYZONE限定のグループだろう、と思っていたグループがここまで続いたことの方がすごいと思った。この短い間のTravis Japanをしっかり見ることができてよかった。楽しかった。後悔はなかった。そして寂しさ以上に、これからどうなるんだろうっていう不安が1番大きかった。9人は難しくても、せめて兄組4人、弟組5人はそれぞれ一緒にいてほしい、そう思っていた。

 

そんなときに決まった優馬の「YOLO moment」のMVへの出演決定。あんなに揃わなかった9人が、PLAYZONEという9人を1番繋げていた舞台がなくなったタイミングで揃った。9人で出ます!って嬉しそうに報告してた9人の姿を見てこっちまで嬉しくなった。

そしてマッチコンのバックダンサー発表。まさかのマッチバックには衝撃しかなかったけど、初めての9人揃ってのツアーバック。9人の衣装を作ってもらって、写真も出してもらって、パンフレットにも掲載してもらって、MCでも話させてもらって。出番は少なかったけど、本当に嬉しかったし楽しかった。日本武道館では9人だけであのステージに立っている瞬間もあって、嬉しくて、信じられなくて、鳥肌が立って涙が溢れそうになった。

 

PLAYZONEがなくなったことでバラバラになることを覚悟していたけど、まだTravis Japanは残っていた。それどころか、今まで散々全員揃わなかったのに、2つも9人での仕事が決まったことが衝撃だった。PLAYZONE限定だと思っていたグループが、PLAYZONEが終わってもなくならなかった。

 

でも、9人でいるからと言ってグループの仕事が増えるわけではなかった。その年の春のクリエ、弟組5人は2013年に続いて2回目の単独公演があったけど、兄組の4人は"MAD"、MADEとあわせて10人でたった1日の公演。たくさんのジャニーズJr.が出演していたガムシャラJ's Partyも呼ばれず、呼ばれても美勇人、宮近、顕嵐だけ。夏のステージもその3人だけで、他の6人は仕事がなかった。マッチコンは決まっていたけど、あくまでマッチコン"だけ"だった。

 

そのあと、あらみゅ以外が嵐のバックについた。私は該当担ではなかったからいろいろ言える立場ではないけど、仕事がある安心と嵐バックになる不安もあったりした。とりあえず12月まではマッチコンがあるけど、そのあとの未来がまた見えなかった。

PLAYZONEが終わったあともグループが続いたことで、改めてグループなんだと実感できたものの、安心はできなかった。いつのまにかトラジャの現場に行くたびに、「これが最後かもしれない」と思う癖がついていた。

 

 

▪️2016年

年明け早々タッキー&翼のバックについた。ここでもまた9人だった。コンサート中にTravis Japanコーナーが始まったときは叫んでしまうくらいとにかく嬉しかった。

そして2016年の春。ついにTravis Japan 9人での単独クリエが決定した。そして夏には、今まで3人しか呼ばれなかったEXシアターに9人で出演することになった。PLAYZONEが終わった後にもグループが続き、単独公演も決まった。ここからいよいよTravis Japanとして本格的に活動していくのか、そう思った。PLAYZONEが終わってからも活動が続いたこの頃くらいからやっと、グループの活動に期待を持ち始めていた気がする。

 

だけど、やっと呼ばれるようになってきたと喜んで迎えた夏。秋に行われるABC座の発表があり、そこに名前があったTravis Japanは8人だった。発表後に開催された夏のEXシアター公演では9人がステージに立っていた。だけど秋には8人になる。また全員揃わなくなる。でも、なんだか今までと違った。はっきり言われたりしたわけではないけど、みんながなんだかざわざわしていた。

 

秋のABC座。そこにはやっぱり8人しかいなかった。それでも、今までも顕嵐がいない8人のTravis Japanも見てきたから実感がなかった。9人揃っていないTravis Japanを見ることに慣れてしまっていた。違う現場では一緒に出るかもしれない。その感覚が抜けてなかった。だけど、そうではなかった。美勇人はLove-tuneとして9月にDREAM BOYSに出演してからABC座に出演していた。だから不可能ではないはず。つまりそういうこと。やっとグループとして単独クリエができてEXシアターにも呼ばれたタイミングだったから衝撃は大きかった。

 

そして、顕嵐が抜けたことと同じくらい、美勇人はTravis Japanに残ったということに驚いていたかもしれない。実は美勇人が抜けることも常に覚悟していた。それくらいTravis Japanとして活動している時間が少なかった。それでも美勇人はTravis Japanに残った。正直、居場所にこだわっていたわけではないし、他の場所で活躍する姿も好きだった。だけど、踊ってる美勇人を好きになった私にとって、1番好きな美勇人の姿を見ることができるのがTravis Japanにいるときだった。顕嵐担の人には申し訳ないけど、やっぱり森田担だから、美勇人がTravis Japanにいること、そして兄組4人はまた一緒なことに安心していた。

 

 

▪️2017年

如恵留美勇人拡輝不在の少年倶楽部の収録があった。弟組だけ呼ばれたのかと思いきや、しめだけはいた。嫌な噂が流れて、胸がざわざわし始めた。毎日のようにJohnny's webを確認していた。

そして3月1日。仲田拡輝の名前が消えた。

正直、兄組はいつやめてもおかしくないと思ってるところもあったけど、いざ現実となると言葉では表せないほど辛かった。少し前に顕嵐も抜けたけど、事務所には残っていた。同じグループではなくなったけど、同じ舞台に立つこともあった。名前も出せる。だけど、拡輝は違う。ジャニーズ事務所からいなくなってしまった。もう4人で並ぶ姿を見ることができない。それどころか、名前が出てくることもない。弟組の「仲田くん」呼びも、如恵留の「なかちん」呼びも、しめみゅの「拡輝」呼びも、もう聞けないんだ。あんなにずっと一緒だったひろしめが見れないんだ。そう思うと寂しくて苦しくて仕方なかった。

 

3月にはジャニーズJr.祭りが決まっていて、そこにはTravis Japanの名前もあった。やっとこの並びに並ぶことができた、これからだ、そう思っていたときの退所。なんで今なの、そう思った。記念すべき初めての団扇も7人だった。せめてもう少し待ってくれれば、何度も思った。

そんな心境で迎えたジャニーズJr.祭り初日。デジチケが発券されないトラブルによって開演が大幅に遅れて、会場内ではJr.たちが音声だけでラジオのように話して繋いでいた。そのとき、各グループごとにいろいろと宣伝ごとを話していたけど、Travis Japanだけ何もなかった。こういうところでたくさん宣伝できるように頑張ります!って言っていたことがすごく印象に残っている。ジャニーズJr.がたくさん出演できるようなステージに呼ばれるようになったけどやっぱりまだまだだった。並べてはいない。そう感じた。

 

それでも、さいたまスーパーアリーナの大きなステージでパフォーマンスをするTravis Japanを見ることができて本当に嬉しかった。他のグループがオリジナル曲を披露していく中、このときはオリジナル曲がなくて悔しかったけど、それでもやっぱり嬉しかった。特に、広いステージの真ん中でのえみゅがスポットライトを浴びて歌っている姿を見たときは嬉しすぎて涙が溢れた。本当に特別な瞬間だった。それまであまり他のグループのファンの人が見るような機会もなかったけど、この祭りで、他のグループのファンの人にも見てもらえてすごく嬉しかった。

 

この年もTravis Japanはクリエ単独が決まって、ついにEXシアターでの単独公演も決まった。他のグループと同じような位置に立てるようになってきた、そう思った。これくらいのときからスノストラブトラ、と4ユニットでくくられることが増えてきて、いつのまにかそんなポジションになっていたことには驚いた。

 

拡輝がいなくなって4人の兄組というくくりが崩れて、この7人になってからちゃんとTravis Japanというグループ全体をしっかり見たような気がする。2人抜けても残っているこの7人はきっとTravis Japanという道を選んだ。ジャニーズJr.祭りに呼ばれて、団扇も発売されて、春も夏も単独公演が決まった。きっと前ほど心配しなくても大丈夫。そう思い始めた。もちろん2人がいなくなった寂しさはそんなにすぐなくなるものではないけど、また新しい形で進み始めた7人の姿を見て、ずっと応援していこうと思った。松松加入前、この7人になったときが1番未来を信じたいと思ったかもしれない。

 

そう思いはじめたときに開かれた秋の舞台の記者会見。そこには6人のTravis Japanがいた。Travis JapanLove-tuneがいるとき、美勇人はLove-tuneとして立つことも多かったからこのときもそうだろうと思っていた。だけど、「Travis Japan6人で頑張ります」という言葉。

 

胸のざわめきが止まらなかった。Love-tuneが結成して約1年、かなりハードスケジュールだったと思うけど、美勇人はしっかり掛け持ちをこなしていた。雑誌でも「どっちも100で頑張る」「最後の1人になってもTravis Japan」そう言っていた。

ずっと、いつか抜けるんじゃないかという覚悟はしていたとはいえ、この頃は前よりもその意識が薄くなっていた。7人のTravis Japanの未来を信じたくなっていたときだった。今回だけであってくれ、勘違いであってくれ、何回もそう思った。

 

そんな中迎えたEXシアターでの単独公演。勝手な解釈だけど、美勇人の卒業式かのようなセトリだった。オーラスの美勇人ソロで弟たち4人が出てきたときに本当に最後なんだなって嫌でもわかってしまった。大好きな美勇人くんと踊る弟組が本当に楽しそうで愛しかった。

最終公演のアンコール前、泣きそうになっていた宮近。8人になった頃からちかみゅセンターが増えてきて、トラジャの代表として立つことが多かった2人。代表として言葉を発していたのは宮近だけど、その横で優しく美勇人が見守り支える。そんなイメージだった。泣きそうになってる宮近と、優しい言葉をかける美勇人の姿を見て、本当に胸が張り裂けそうだった。いつのまにか兄組弟組関係なくTravis Japan全体を好きになっていることを痛感した。

 

 

9月の帝国劇場。Travis Japanは6人になっていた。1番好きな人がTravis Japanを抜けた。きっとここでTravis Japanの応援をやめたり、見られなくなる人もいるんだと思う。でも私の場合はそんなことはなかった。結成のときから見ていて、気付いたらTravis Japanの未来を信じたいと思うようになってきていた。居場所にこだわりはなかったはずなのに、気持ちをセーブしてたはずなのに、大好きな人がいなくなったのに、その大好きな人が大切にしていた場所だから、いつのまにか私にとっても大切な場所になっていた。だから美勇人がいるいない関係なしに、これからもずっとTravis Japanのことを応援すると決めていた。もはや理屈とかではなくて、私の中にTravis Japanがいることが当たり前になっていた。

 

そんな舞台の千穐楽、トラジャが泣いていたと流れてきたレポ。宮近の「俺らTravis Japanはどんな形になっても輝き続ける!」という言葉。嫌でもみんなが察した。それから少し経って迎えた10月のABC座初日。パンフレットに載っているのは5人のTravis Japanだった。美勇人が抜けたことを受け止められないまま、さらに朝日までいなくなってしまった。まだ1ヶ月くらいしか経ってなかった。実際に5人の夢のHollywoodを見たけどやっぱり信じられなかった。だけど、涙だけは止まらなかった。今までも揃わないことが多かったグループ。だけど今までとは訳が違った。この現場だけがそうなのではない、これからずっと5人なんだ。そのことがなかなか信じられなかった。

 

 

そんな状態で幕があけた11月の湾岸公演。そこにはゲストとして松松が登場していた。公演には入ってないからレポを見ただけだけど。もともと松松は好きだったし反対なんてなかった。むしろそこがいたか〜!っていう感じだった。ダンスを頑張っててSHOCKでTravisとも関わりがある2人。よくこんな適任な人がいたな、と。しかも、ことごとくシンメがいなくなったタイミングで、ずっとシンメとして活躍してた2人が加入するなんて、そんな夢見たいなことある?と思った。 

だけど、松松が入ることで、本当に今までのTravis Japanではなくなる。もともとないってわかってはいたけど、密かに、また美勇人が戻ってくるんじゃないかっていう微かな希望を持ったりもしていた。だけどそれさえもなくなる。そのことはどうしても寂しくて苦しかった。

 

担当がいなくなったグループを見続けるのってつらくないの?とよく聞かれる。確かに、美勇人も踊っていた曲を見たりすると苦しくなるし泣きそうになる。なんでここにいないんだろうって思うことももちろんあった。でもきっと、担当がいなくなったからこそどこか冷静に見ることができていて、新生Travis Japanのことも素直に受け入れることができたんだと思う。深く考えていなかったけど、たぶん私の中では、美勇人がいなくなった時点で無意識にTravis Japanの見方が変わっていた。そんな気がする。そしてとにかく、Travis Japanに幸せになってほしい。報われてほしい。そんな思いが強くなっていた。

 

最初にメンバーが抜けてから松松が加入するまで1年半もなかった。たった1年半弱の間に4人がいなくなり、2人が加入した。あらん以外は全部2017年の出来事。本当に本当に怒涛な年だったなと思う。

だけど、これからのTravis Japanのことを考えたら、この選択を信じて応援するしかなかった。

 

 

▪️2018年

湾岸公演は行けなかったけど、ありがたいことにこの年のEndless SHOCKに行くことができた。念願の、人生初のSHOCKだった。そこで初めてカイトとゲンタを見た。

セクバのかわいいシャカリキ松松で記憶が止まっていたから、あまりの成長に本当にビックリした。こんな2人がTravis Japanに入ったのか、と震えた。PLAYZONEという舞台で育った5人とEndless SHOCKに立っている2人が同じグループになるなんて最強じゃん、そう思った。

 

そしてTravis Japan初めての横浜アリーナでの単独公演。たくさんの人で埋まる会場を見るだけで感動した。1年前の夏、EXシアター平日3日間埋まる…?って心配してたようなグループが横浜アリーナという広い会場をいっぱいにしていた。立ち見の人までいた。その光景だけで泣きそうになった。そのとき見学に来ている美勇人を見て、なんで一緒にいないんだよって思ったりもしたけど、相変わらず美勇人くん大好きなトラジャを見ることができた。変わらずにいい関係性でいるんだろうなっていうことを感じることができた。それと同時に、美勇人がいないTravis Japanを見ることも慣れてしまっていたから実感がなかったけど、別々の道を選んだこと、お互いがお互いの道を進み始めてることを痛感させられた。

 

このときの公演は、過去に披露した大切な曲が多くて、イントロが流れた瞬間涙が出てきたり崩れたりするような曲がたくさんあった。でも、やらないで、とか受け付けない、とかそんな感情は全くなくて、思った以上に新生Travis Japanを受け止めている自分がいた。いくらグループ活動が少なかったとはいえ、結成して5年が経っているグループへの加入。それも次々にメンバーが減っていった大変な時期。そんなタイミングで加入を決めて、SHOCK期間中に単独公演の準備を進めて、あのステージに立った松松を見て否定することなんてできない。むしろすごいとしかいえなかった。とはいえ、このときはまだ正直松松を見るところまで気持ちの余裕はなくて、やっぱり思い入れの強いのえしめを中心に見ていた。

 

次にTravis Japanを見たのはキスマイのバック。ドームということもあって誰かに絞らず、近くに来た人を見たりしていた。そしてこのとき、近くに来たのがまつくだった。変わらずしゃかりきで、でもなんだか大人になっていて、キスマイ担ばかりだったエリアの中で自分のファンを見つけてちゃんと反応してる姿に心を打たれた。

最初はやっぱり大好きだった兄組ののえしめが中心だったけど、頑張ってるまつくの姿を見て、松松も含めて全員を見るようになっていた。そして噂のtoxxxicも見て衝撃を受けた。語彙力がなくなるけど、まつくがとにかく本当にやばかった。狂ってた。私の中で止まっていたかわいいまちゅではなくなってて、完全に自分の世界観が作られていて目が離せなくなった。この頃から、まつくのことを見ることが増えた気がする。まつくがどんな世界観をもって踊っているのか考えるのも楽しかった。

 

 

夏のサマパラ。今の7人での初めての夏。曲によって、この曲は誰のダンスが好き、この曲は誰のダンスが好きって思いながら見てるのも新鮮で楽しかった。そして、まつくのここの踊り方、表情が好きだなって思うことが増えてきていた。特に宇宙になったライオンの表情、世界観に衝撃を受けたことはとても覚えている。

だけど、最後のプレゾンメドレーだけはまだまつくを見る余裕なんてなくて、ずっとのえしめだけを見ていた。玉虫衣装を着て「1番好きなジャケットで」って歌い始めるなんてずるい。特にガイズに関しては、初めて見たとき涙がボロボロ止まらなかった。美勇人がいないガイズを見ることが初めてで、思った以上に苦しかった。のえる担のお友達と入って、なんでのえるくんのシンメが美勇人くんじゃないのっていう言葉にさらに涙が出た。やってほしくないとかそういう感情じゃなくて、ただただ寂しかった。

 

美勇人はまだ事務所に在籍はしていたけど、この頃はもう現場がなくて、しばらく美勇人が踊っている姿を見ていなかった。それでも、森田担をやめようという考えはなかった。今後大きな仕事はないかもしれないという覚悟はしていたけど、美勇人はなんだかんだ辞めないだろう。そう思っていた。

 

 

そして11月30日。Love-tuneメンバー退所のお知らせ。

仕事中に友達からLINEがきて一気に心拍数が上がった。信じられなかった。信じたくなかった。あと1ヶ月で好きな人が事務所を辞める。顕嵐に関しては数時間後には辞めてしまう。あらちかというシンメも見れなくなってしまう。意味がわからなかった。

その日の夜、思い出を振り返る人がたくさんいて、いろんな写真や動画を見て、辞めるという実感はなかったけど苦しくて涙が溢れてきた。そして1ヶ月後には美勇人も同じことになる。1ヶ月あると言っても現場があるわけでもないし、どうすればいいかわからなかった。

 

そして何をすることもできず美勇人の退所日当日。カウントダウンコンサートに行った。コンサート前に友達と会って泣いた。そして日付が変わる瞬間。年越しのカウントダウンが美勇人がアイドルではなくなるまでのカウントダウン。あんなに苦しいカウントダウンは初めてだった。なんだかんだで応援し始めて6年弱。こんな終わり方になるなんて思ってなかった。日付が変わる瞬間はずっとのえしめを見てて、自然と涙が出た。なんだか不思議な感覚だった。この瞬間、のえしめはステージで輝いていて、美勇人はアイドルではなくなった。もう、のえしめの隣に立つ美勇人を見ることはできないんだ。大好きなのえみゅシンメを、仲良し同級生コンビしめみゅも、もう見ることができないんだ。そんな実感がなかった。だけどただただ苦しかった。

 

担降りなんて考えてもいなかったけど、美勇人がジャニーズではなくなった以上、もう森田担とは名乗れない。自分の意思ではなく、気付いたら無担になっていた。

 

 

▪️2019年

担当がいなくなって、友達からいろんなところに降りてって誘われたりしたけど、ここまできて今から全く新しいところに飛び込む気になれなかった。一旦Jr.から離れてJUMPに戻るというところも考えたりしたけど、担当がいなくなってすぐ切り替えるということが私はできなかった。

 

こうなったからには無理に担当に拘らず、もう無担でいいや、と思った。美勇人がいなくなって、担当がいないのにトラジャの現場に行くのもどうなんだろうって思ったりもしたけど、一緒に行こうって言ってくれる友達がいたことも大きい。むしろ来てほしいって言ってくれる優しい友達がたくさんいた。だから2019年からは担当を名乗らず、好きな時に好きなところにいこう、と決めた。

 

そして担当がいなくなって最初にTravis Japanがいる現場がEndless SHOCKだった。如恵留の念願のSHOCK出演が本当に本当に嬉しくて、このときはノエルをメインで見ていた。すごく大好きな如恵留が詰まっていた。

実は美勇人がトラジャから抜けてからのトラジャの現場では、ペンライトを白にして持っていた。もともと美勇人のメンバーカラーというのもあるし、シンメ厨な自分がシンメを好きになることは自然なことだった。そしてただ単純に如恵留が魅せるパフォーマンスがとても好きだったから、もし降りるとしたら如恵留かなーって思ったりもしていた。

だけど、担当がいなくなってすぐシンメに降りる、ということには抵抗があったし、美勇人と同じグループのメンバー、シンメとして見てきた時間があまりにも長くて、今更感が大きかったのも事実。だから担当と名乗るところまではいかなかった。

 

 

そしてスノとなにわの合同コンサート。友達と、せっかくなら誰かの団扇を持とう、という話になった。ペンラは白にして持っていたけど、美勇人がいないときにトラジャの他の人の団扇を持つことはなかった。誰かの団扇を持とう、となったとき、やっぱりのえるのことは浮かんだ。だけど、自分の中でやっぱり今更感が強かったということと、前からのえるの団扇を持つ友達が身近にいたということもあり、のえるの団扇を持つということには迷いがあった。そのときに頭に浮かんだのがまつくだった。

もともと好きだったということ、最近また改めて見るようになって、パフォーマンスが好きだと感じることが多かったこと。そしてせっかくだったら心機一転したかったということも大きかった。この頃から完全にまつくを意識するようになっていた。

 

このときの公演では、記者会見で嬉しい発表がたくさんあった。初主演舞台決定は友達と泣いて喜んだ。ずっとずっと彼らが夢だと言っていたことが叶う。本当に本当に嬉しかった。2年前のたまアリでのコンサートで、宣伝ごとがなくてもっと頑張るって言ってた人たち。そんな彼らが、2年前と同じ場所でたくさんの発表をしていた。初主演舞台決定CM決定、オースティン、サマパラ決定。どれか1つだけでも大きなことなのに、そんな大きなニュースがたくさんあった。信じられなかったけど本当に嬉しかった。幸せだった。このとき、初主演舞台のときは胸を張ってトラジャ担って言いたい。該当担として喜びたい。という気持ちが強くなった。

 

この発表の前まで、まつくを中心に見て1つ1つのパフォーマンスに魅了されていた。ダンスはもちろんだけど、歌選抜で歌っている姿もギターを弾いてる姿も目が離せなかった。松倉担になろうかなって意識をし始めていた。だけど、夢が叶ったとき自然と見ていたのは如恵留としめだった。発表のあとのトラジャコーナーでは気付いたら2人を見ていて、VOLCANOの2番ののえしめパートで自然とが溢れた。ギスギスしていた2人がいつの間にかそんな関係性になっていて、そんな姿を見たら今までのことをいろいろと思い出して、たくさんの感情が溢れてきて止められなかった。

 

松倉が好きな自分と兄組が好きな自分。どっちも共存している状態。どうすればいいか悩んだ。そしてのえる担じゃなくて松倉担になるとしても自分の中で今更感はあった。2012年頃から存在を知っていて、現場が被れば見ることもあったし、少年やジュニラン、ガムシャラなどでも見ていた。担当ではないにしろ見れば可愛いと言っていた。昔から知っているからこそ、あのときのコンサート行けばよかった、もっとよく見ておけばよかった、と後悔するんじゃないかとも思った。

それともうひとつ、まつくを見ていて気付いたんだけど、ところどころ美勇人と踊り方とか立ち振る舞いが似ていると感じることがあったんだ。だから、まつくが好きなのか、それとも美勇人と重ね合わせてしまってるだけなんじゃないか、と思うところもあった。

 

そんないろんな思いがごちゃごちゃして担降りまで思い切ることができず。だから、トラジャ担になりたいと思いながらも、担当を決めずに「Travis Japanっていうグループが好きです」っていうスタンスが楽だった。それからの現場もそんなスタンスで応援していて、その中でどんどんまつくの世界観に引き込まれていった。それでも、好きではなくなったから森田担を辞めたわけでもなく、美勇人のことは変わらず好きだったからこそ私にとってかなりの決意が必要だった。

 

担当がいないと楽だった面もあったし普通に楽しかった。だけどそんなふわついた状態を長く過ごしている中で、誰か1人のことを追いかけている周りの友達の姿を見ていると羨ましくなった。胸を張ってトラジャ担と言えないことが寂しかった。

 

 

念願の初主演舞台。区切りをつけるのにはちょうどいいと思った。楽とか言いながらも、ふわふわしてる状態でいる自分が嫌でいい加減区切りをつけようと思った。そんな決意をした上で観劇した虎者池袋公演。会場に入って7人の幕を見ただけで、開演前どんどん大きくなる音を聞いただけで、涙が溢れた。初主演舞台という、遠い夢だと思っていたTravis Japanの夢が叶った。本当に嬉しかった。

そして2幕の千年メドレー。マッチコンで9人がもらった大切な衣装を着て、如恵留が1人で出てきた。劇場の真ん中に堂々と立つ如恵留を見て、うまく言葉に言えないけど、そこには昔大好きだったTravis Japanがいた。今でこそ宮近がセンター、リーダーというポジションになっているけど、私が知ったとき、いろいろと大切な場面を任されるのは如恵留。そんなイメージだった。だから、千年メドレーの冒頭はその頃のTravis Japanを思い出して鳥肌が止まらなかった。如恵留のセンターから始まり、宮近と元太のツートップ。そこから出てくるまつく。また新しいTravis Japanの姿だった。率直に、強いなって思ったし、これからまた新しいTravis Japanが見られるんだな、もっと強くなるんだろうなと思って震えた。

 

 

このステージを魅せてくれるTravis Japanが好き。そしてそのステージで魅せるまつくのパフォーマンス、世界観が好き。美勇人がアイドルを辞めて新しい道を進み始めた。もうジャニーズの森田美勇人はいない。私もいい加減はっきりさせよう。そう思った。

 

そして区切りよくまつくの誕生日に降りることを決めた。覚悟を決めたはずなのに、森田担時代を共に過ごした友達と大好きだった写真たちを並べたら泣きそうになって、決意が少し揺らいでしまったのも事実。だって本当に大好きだった。気付いたら森田担になると言った日から7年が経っていた。思い出が詰まりすぎている。それでも今のTravis Japan、まつくを応援したい気持ちが大きくなっていたのもやっぱり事実。あとはもう勢いだった。

 

そしてこの日、松倉担になると宣言した。

  

 

基本的にいろいろなことにおいて面倒くさがりな私。趣味でイライラなんてしたくない。ただただ楽しく平和に好きにおたくをしたい。その考えだけはずっと変わらない。いつのまにかTravis Japanも、Travis Japanを取り巻く環境も大きく変わっていたけど、そこに対してぐだぐだ文句を言うくらいなら、頑張りすぎて疲れるくらいなら、自分が離れればいい。そう思ってる。無理する必要ないと思ってるからこそいつでも純粋に「好き」って思える。やっぱりせっかくなら楽しみたい。ただそれだけ。そして何より、いつも好きを共有できる大好きな友達が近くにいる。そんな自分のスタンスや周りの環境もあって、こんなに長くTravis Japanのことを応援し続けられているんだと思う。

 

このタイミングで松倉担になることで過去への後悔とかも出てくるかと思ったけど、そんなことはなかった。もちろん、最初の頃のSHOCKのカイトを見たかったな、とかセクバのかわいいまちゅくをもっと見たかったな、とか思うことはあるけど、話を聞いたり映像を見たりしても後悔みたいな感情はない。ちゃんと知りたいとも思うし純粋に楽しんでる。それはたぶん、美勇人を応援していたときが本当に楽しかったから。その時代を否定したくなかった。そしてきっと、今だからこそ担当になるくらいまつくのことを好きになったんだと思う。今が私のタイミングだったんだ。まさかこんなに愉快な人だと思ってなかったから、なんでだろうって思うこともあるけど(笑)それでもパフォーマンスや笑顔を見ると好きだなって思うし新しい一面を見るたびに楽しくなってくる。

 

 

 

たまに「Travis Japanのどこが好きなんだろう」って考えることがある。結成当時から見てて、変わってないことなんてグループ名くらいじゃないかと思う。メンバーだって約半数も変わってるし、残ってるメンバーもだいぶキャラが変わってる。踊り方だって変わったりしている。グループの雰囲気やイメージもかなり変わった。

 

最初は美勇人がいたから見ていたグループ。何が好きって言われたら美勇人がいたから、という理由だったと思う。今では考えられないけど、美勇人を好きになったときは声を聞く機会すらなくて、性格やキャラを好きになるなんてできなかった。ただただ純粋にパフォーマンスに惹かれた。踊り方が好きだったのはもちろんだけど、楽しそうに踊っている姿が本当に大好きだった。そんな美勇人が好きで、そんな美勇人と並んで同じように踊ってるメンバーのことが好きになってて、気付いたらTravis Japanを好きになっていた。パフォーマンスだって前と今では全然違うけど、それでも不思議なことにいつだってステージに立つTravis Japanが好きで、こんなに変化があっても、1番好きな人がいなくなっても離れられなかった。

 

私は森田担だったから、どうしても今もTravis Japanとして活動しているメンバーやそのメンバーのファンを見ると羨ましくなったり寂しくなってしまうこともある。だけど今更過去のことを嘆いても仕方ないし、大好きだった大切な時間を後悔になんてしたくない。いつまでも懐古ばっかりしてしまうけど、それは決して過去に縋り付いているわけではなくて、宮近が言うように卒業アルバムをめくるような感覚。いつまでも懐かしんで話したいくらい、いつの時代も本当に大好きで楽しかったんだ。トラジャはたくさん苦労してきたって言われることが多いけど、決してそれだけじゃない。私は1番忙しかったであろう人を応援していたから苦しさなんて言える立場じゃないけど。嬉しかった、楽しかった、好きで溢れていたことがたくさんある。話だしたらきりがないくらいたくさんある。露出があまりなかったからこそ、どんなに小さなことでも一つ一つのことが本当に嬉しくて大切だった。 

 

 

 

8年前の今日。私が初めてPLAYZONEを観劇した日。そして初めてTravis Japanを見た日。ハッピーデイズで9人が一斉に箱から出てくる瞬間、いっぱい出てきた!?って焦りながらもとにかくキラキラしたかわいい世界に胸が高まったこと、まだほとんどが中高生だった彼らが田原メドレーではなんだか大人に見えてすごくかっこよかったこと、DVDでA.B.C-Zが踊っていたガイズのパートを優馬と兄組が踊っている姿を見て感動したこと、今でも思い返すとあのときの胸の高まりが蘇る。あの頃の私に、8年後もTravis Japanのファンだよって言っても信じないだろうな。

 

期間限定だと思っていた、常にこれが最後かもしれない、と覚悟しながら見ていたグループ。そんなグループがまさかここまで続くなんて思っていなかった。正直、彼らの口から「デビュー」という夢をこんなに力強く聞くようになるなんて思わなかった。PLAYZONE限定なのかと思っていたのに、活躍の場を広げるどころかいつのまにか世界進出を目指すグループと言われるようになるなんて思わなかった。全く想像していなかった世界に驚いてばっかりだ。今ではたくさん露出があって、気付いたらJr.の先頭に立つような位置にいて、信じられないくらい大きな仕事が決まったりして、いろんなことがきっかけでどんどんファンが増えている。全てのことにひたすら感動するし、最近は予想外のことばっかり起きて楽しくて仕方ない。だけど何よりもまず「Travis Japan」というグループが、7人で一緒にいることが当たり前になっていて、私たちの前に立ち続けている。そのことだけでも本当に奇跡みたいで、そんな彼らの姿を見ることができる今がとっても幸せだなって思えるんだ。

 

 

何が話したいのかよくわからないままだらだら書いてしまったけど、気付いたらのえまるも超える長さでひいてる(笑)嬉しかったこととか、メンバーのイメージの変化とかも勝手に書こうと思ったけど長すぎてやめた(笑)ぐだぐだ言ってるけど、今や化石とか言われるようなおたくも普通に楽しくおたくしてるよ!っていう話!かな?(笑)美勇人を好きになったからこそTravis Japanを好きになって、大好きな友達に出会えて、いろいろあってもTravis Japanから離れられなくて、まつくを好きになって、結局今もTravis Japanを応援してる。ここまできたらもう離れられないだろうなって思うし、きっとこれからも好きなんだろうな。

今はただ、違う道を選んだメンバー含め全員が幸せになることだけを願ってるよ。

 

 

 

 

 

 

「救世主が必要なんじゃない?」 

そう歌う2人こそが私にとっては救世主だよ。なんて言ってみたり。